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■ 土地の神様
2006. 4.28

竹山の整理のお手伝いに来てくださる奥さんは、もう70歳になられるが、話を聞いていると、霊感があるようだ。

ご主人がテレビを見て、「この店に行こう」と、連れて行ってくれた食堂みたいな場所へ入ったのはいいが、全身が凍りついた、と。そこは、小さなテーブル席があるだけで、仕切りもなにもない隣で、骨董品の家具や着物を売っていたらしく、料理の注文はしたけれど、とても食べた気はしなかったと。
その家具や着物からそれぞれの元の持ち主の声にならない声が聞こえてくる気がして・・・お払いをしながらお店を出たけど、その夜は、頭に店内の光景が焼き付いて、ほとんど眠れませんでした、と。

確かに、骨董品を売ってる隣でものを食べたくはないけど、ここまで来ると、凡人の私にはわからないものを心のどこかで感じておられるんだろうな~と、こっちまで冷やっとする。

で、先日その奥さんに、「土地には神様がいる」という話を聞いた。
住んでおられるそばに空き地があって、そこの持ち主は県内ではあるが、遠くに住んでおられるので、空き地に目は届かない。それをいいことに、近所のある人が勝手に野菜を作ったりしている、と。土地の持ち主は、それを知って困っているらしい。その奥さんにしたって親戚でもない他人の土地だから、「勝手に使ってはいけませんよ」と言いたいが、言えば角が立つ・・・といったところだろう。
世の中には、自分の常識では考えられない人がいるから・・・と。
でも、その土地にはその土地の神様が住んでいて、勝手に他人が入ったり使ったりしていたら、良いことは起きないんです。って、おっしゃった。
そう言えば、どこかの土地を勝手し放題に使ってた人が、どこかの病院へ入院したままらしい話を私は聞いたばかりだった。と、書くと「じゃ入院している人は何かよからぬことをした人なのか」という反論もあるだろうが、決してそういう意味ではないので、勘弁してほしい。都会なら不動産屋が競って地上げしていくのだろうが、田舎の空き地は「空いてるんだから他人のものでも使っていいじゃない」って思う人がいるんだろう。

土地の神様、それは人の心の中に住んでいるものなのかもしれない。祟りとか怨念とかいろんな言葉で悪いことをしちゃいけないと言い伝えられてきたものかもしれない。でも、現実に非日常的なことが起きると、ほんとに土地の神様っているのかな~って、非科学的なことを思ってしまう。
自分中心に生きてる人は、それなりの生き方しかできないってことかな。


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