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■ 中学生の頃の思い出
2005. 3.21

中学生の頃、社会科の先生が大嫌いだった。
あだ名は「山本ゴリラ」。当時50歳代後半、白髪交じりの髪を七三に分け、いつもネズミ色の同じスーツ。背は高く、顔はごつく、ジャイアント馬場の輪郭で色黒、目はギョロリとでかく、唇がいかりや長助そっくりだった。

優等生の回答には「その通り!」と満面の笑顔で答え、できの悪い生徒を指名しその生徒が間違った答えを言おうものなら、「さっき説明したことを聞いてなかったのか?」と、ののしり、正解を答えたとしても(どうせ誰かに教えてもらったんだろう)とでも言いたげな顔で、「はい、そうです」の一言。あまりの対応の差にクラスの、いや学校のほとんどの生徒がこの教師を嫌っていたように思う。

チョークは普通どう持つ?長いチョークであれば、その大部分は手のひらに隠れ、チョークの先端だけが顔を出し、黒板に向かっているはずだ。それがこの山本ゴリラ、チョークの端っこを持ち、長々とチョークを見せ、黒板に文字を書くので、筆圧が入るはずもなく、いつもミミズが這ったような汚く、読みにくい文字だった。活発な生徒が何度か「先生、なんて書いてあるんですか?」と聞くが、書き直すわけでもなく、「○○です」と、口頭で言うのみ。書き直してもあの字じゃ、ますますわからなくなるばかりだが。声と態度はでかいが、字はミミズ・・・なんて最悪な教師だ。気が強いんだか弱いんだかはっきりしろ!って言いたくなる。

その山本ゴリラが授業中、「ノストラダムスの大予言は当たると思うか?」と聞いた。「思う人」と聞かれ、なぜか私一人だけ手を挙げていた。「ほ~、ふみっちくん、何の根拠があってかね?」と、聞いてきた。「さあ、わかりません」と答えた・・・。いや、答えられずに黙っていたんだったかな。根拠なんてあるはずないじゃん、予言なんだから。アンタが「当たると思うか?」って聞いたんだから、答えはYESでもNOでもいいはずだろう・・・と、内心思った。
いまだになぜあんな質問をされたのか、なぜ私はノストラダムスの大予言を、「当たる」と思ったのか、わからない。別にノストラダムスの本が好きだったわけでも、予言を信じていたわけでもないのに。おまけに当たらなかったし・・・

それ以来、ますます山本ゴリラと社会科が嫌いになった。

ただ、通学路にこの山本ゴリラの家があり、毎朝・毎夕通るのだが、この家があわい黄色の壁で、庭にはバラの花があちこちに咲いている。とてもゴリラの家とは思えないほど、きれいでメルヘンチックで、いかにも女性があこがれそうな家だった。今から30年くらい昔、おまけに大分の田舎で、そんな家は珍しかったと思う。その不似合いさに未だに覚えているわけだ。
人にはいろいろな面があるという典型かもしれない。


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