玉名ラーメン物語

老舗

2006.04.08


玉名市の中心部・高瀬を貫く国道208号に面した「天琴」。休日の昼時ともなると県内外のファンらが行列をつくる。来年で創業50年を迎える玉名一の老舗だ。玉名ラーメンは、今も厨房(ちゅうぼう)に立つ店主・中村敏郎さん(70)抜きに語れない。
 中村さんがこの道に入ったのは中学を卒業して間もなく。同級生の家に遊びに行ったことがきっかけだった。国鉄高瀬駅(現JR玉名駅)前にあったその家こそ、珍しい豚骨スープで評判を呼んでいた「三九」だった。
 「戦後の混乱期で仕事もろくにない時代。働けるだけでうれしかった」。長崎・島原出身の中村少年は住み込みで、スープづくりや出前、掃除など、何でもこなしながらラーメンを学んだ。
 中村さんはその後、数軒で経験を積み、1957(昭和32)年、二十歳で知人と「天琴」を創業。3年後に現在地で独立した。
 しかし、当時の玉名には既に数軒、三九の影響を受けた豚骨ラーメン店があった。“新参者”の中村さんは、だしに必要な豚の骨さえ売ってもらえなかったという。
 仕方なく二日に一度、単車を飛ばし、大牟田からフェリーで故郷の島原に渡った。知人の肉屋を訪ねて豚の骨を集めるためだった。
 「バイクに積めるだけ積んで翌朝、玉名に戻り店を開けていた。悔しい思いをしたこともあったが、見返してやるという気持ちで働いた」。穏やかな表情の中に時折のぞく厳しい目。そのころの苦労を物語るようだ。
 天琴のメニューはラーメンとご飯、ビールのみ。簡素な品書きが頑固さを表す。ラードが効いたスープはこってりして奥が深く、多くのファンを引きつける。
 天琴で13年修業した坂本章さん(62)が、83年に開いたのが「大輪」(中)。半日煮込んだスープにごま油を加え、コクを変えずにすっきり仕上げる。黄金色のスープは、脂っこさもそう感じない。
 「来々軒」(亀甲)は57年創業。店主の松本哲哉さん(45)は二代目で、かつて天琴に出入りしていた祖母から作り方を習った。「毎日同じ味を作るのが大変。発見と勉強の毎日です」

写真:乗降客でにぎわう「昭和20年代の国鉄高瀬駅前付近。写真左側の方に「三九」があった。=「ふるさと玉名写真集」より

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